位置・地図
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地理・気候
ジャマイカはカリブ海に位置する熱帯海洋性気候の島です。キューバから南へ約145km、ハイチから南西へ約161kmのところにあります。面積は11,420km2 です。
ジャマイカの地形は、東から西へと広がる山脈が特徴的です。多くの小さな川や流れが、中央の高原を南北に流れ、滝となり低地や海岸平野を通ってカリブ海へ注いでいます。ブルーマウンテンとして知られる主要な山脈は、島の東部にあります。ブルーマウンテンの頂上は海抜2,256mで、最も標高の高い地点です。入りくんだ海岸線は全長1,022kmで、自然湾や閑静な入り江、素晴らしいビーチや険しい崖などがあります。温泉や鍾乳洞、美しい滝も、様々なところに見られます。
ジャマイカは3つのカウンティ、さらに14のパリッシュに分かれています。首都であり商業、文化の中心であるキングストンは、南東の海岸に位置しており、壮大なブルーマウンテンを背景に、世界で七番目に大きな自然湾の海岸にあります。モンテゴベイは、北西海岸に位置し、ジャマイカで二番目に大きな都市であり、観光の中心地です。その他の観光地としては、ポートアントニオ、オーチョリオス、ネグリルがあげられます。
ジャマイカの主な天然資源は、ボーキサイト、石こう、石灰石です。農業に適した肥沃な土壌は、低地や海岸平野に見られます。
ジャマイカは生物の多様性で知られています。3,000種以上の植物が見られ、その約1/4は、地球上の他のどこにも見られないものです。野鳥の生態も豊かで実に多様です。スワローテールハミングバードはジャマイカだけに生息しており、国の重要な象徴の一つです。
ジャマイカの気候は、海抜高度と一日の時間により様々です。海岸の熱と湿度は、絶えず北東貿易風により和らぎます。海岸平野の年間平均気温は27℃です。高度900m以上の中央高地では、平均気温は約22℃です。より高い高度のところでは気温は低めで、特に朝晩低くなります。
降雨量については、特に北東部の雨や霧が多い山脈と、中央高原周辺地帯のより雨の少ない南部では、違いがあります。雨の多い時期は、5月〜6月、そして10〜11月です。熱帯暴風雨とハリケーンは、カリブ地域では6月から11月の間に勢力的になります。
政治
政府
ジャマイカは立憲君主国で、イギリス連邦に属する、安定した議会制民主主義の国です。
1962年ジャマイカ独立の際に公布された憲法により、立法権は議会に与えられました。議会は女王陛下のもと、上下両院によって構成されています。指名を受けた21人の議員から成る上院と、選挙で選ばれた60名の議員で構成される下院です。女王陛下は、ジャマイカでは、首相の助言で任命される総督が代理を務めています。内閣閣僚の任命など総督の重要な活動は、首相の助言にもとづいて行われます。ジャマイカの総督は、ケネス・ホール教授閣下です。
総督は、下院の過半数の支持を受けた下院議員を、首相として任命します。それは通常、議会の過半数の議席を持つ政党の党首です。首相は5年の任期中いつでも、議会を解散し、総選挙の日を指定するよう、総督に助言する権限を持っています。
行政権は内閣に与えられており、これを率いる首相は、議会を通じて国民への説明責任を担います。内閣は、政府の全般的な方向性及び管理の責任を担っています。
The Prime Minister is the Honourable Orette Bruce Golding who was sworn into office as Jamaica's eighth Prime Minister on September 11, 2007.
ジャマイカの憲法は、下院議員であり、政権に反対する議員の過半数の支持を得た野党党首を、認めています。野党党首は、上院議員計21名のうち8名を指名します。残りの13名は、首相が指名します。The Leader of the Opposition is the Most Honourable Portia Simpson Miller.
ジャマイカには二つの主要な政党があります。現在政権を握る人民国家党(PNP)と、現在野党のジャマイカ労働党(JLP)です。
ジャマイカの法律・司法制度は、イギリスのcommon law and practice(コモンローアンドプラクティス)に基づいています。裁判官は、Judicial Service Commission(司法委員会)の助言を受け、総督が任命します。政府の司法の長はChief Justice(最高裁判所長官)で、野党党首と協議をし、首相の助言をもとに、総督が任命します。
歴史
概要
過去5百年間のジャマイカの歴史は、自由と正義を勝ち取るために闘ったジャマイカ人の勇気と、逆境や差別に直面しても弛まぬ抵抗と決断が顕著に見られるものです。現代のジャマイカは、ジャマイカの先住民に対して行われた集団虐殺という歴史的遺産をもとに、また3百年以上の間アフリカ出身のジャマイカ人が苦しんだ奴隷制度と抑圧の上に、そしてヨーロッパ、アフリカ、アジア、中東系の人々が、カリブ地域中心に位置する、誇りを持ち自由で発展する国を建設しようと相互に取り組んだことを基に、建設されました。
最初のジャマイカ人
最初のジャマイカ人は、A.D.600年頃にジャマイカに住んでいたタイノインディアンです。この人々は、南アメリカの北海岸から移り住んだ石器時代からの人々です。約9百年間ジャマイカに居住した後、1494年スペインの征服から50年も経たないうちに、スペイン人居住者の搾取と、飢えと、ヨーロッパの疾病に対する抵抗力不足のため、全滅してしまいました。多くのタイノがスペイン人による土地の占領に対して激しく抵抗しました。何人かは奴隷として仕えるよりも、自ら命を絶つことを選びました。タイノの人々が話すアラワク語は、多くの語に残っています。例えば「ハンモック」「ハリケーン」「タバコ」「バーベキュー」「カヌー」などです。ジャマイカということばは実際、「ザイマカ」というアラワクの言葉からきていて、「森と泉の島」という意味です。
スペインの時代
クリストファー・コロンブスが、ジャマイカに足を踏み入れた最初のヨーロッパ人です。コロンブスは、新世界への二回目の航海中の1494年5月3日、ジャマイカをスペインの領地だと主張しました。1510年ジャマイカにスペイン人が入ってきて、以前から住んでいたタイノの人々は奴隷にされ、やがて絶滅してしまいました。16世紀の前半には、西アフリカから奴隷を輸入してジャマイカで働かせるという慣習が始まりました。ジャマイカで最初の町が、スペイン人によりセント・アンズ・ベイにつくられ、セヴィーヤ・ヌエヴァと呼ばれました。1538年スペインは、ジャマイカの首都をスパニッシュ・タウンに移しました。しかし、ジャマイカでは金が発見されなかったので、非常に多くのスペイン人がジャマイカに住んでいたことはありませんでした。その代わり、ヨーロッパと南北アメリカの間を航海するスペイン船に食糧を供給するため、プランテーションがつくられました。スペインによるジャマイカの統治は150年以上の間続き、この時期の名残りは、スパニッシュ・タウンの歴史的建造物や、ジャマイカの多くの川や山、町につけられたスペイン語の名前に見られます。
イギリスの時代とカリブの海賊
1655年イギリスの海軍が、スペインからジャマイカを奪いました。そしてイギリスは、3百年以上の間ジャマイカを占領しました。イギリスは、その地域におけるスペインの支配に対抗し、またスペイン人の儲かる金・銀の貿易を妨害するため、カリブ海の中心というジャ マイカの有利な位置を利用しました。ジャマイカで最初のイギリス人居住者の多くが土地所有者で、その他はイギリス人の承諾をもとに活動していた海賊でした。ヘンリー・モーガン卿のような海賊は、傭兵や冒険家と一緒に、中央アメリカ及び南アメリカから金・銀をスペインに運ぶスペインのガレオン船を襲っていました。拠点としていたポート・ロイヤルは、盗んだスペインの金によってまもなく裕福になり、17世紀には「世界で最もよこしまな町」として知られていました。
ポート・ロイヤルは、1962年壊滅的な地震に見舞われほぼ完全に崩壊し、またその後30年間次々と襲ったハリケーンによりさらなる被害を受けました。その頃までには、イギリスとスペインは平和条約に署名し、海賊の必要性も消滅しました。ジャマイカは、貿易や、砂糖、ココア、その他の農産物の輸出に、もっと関わるようになりました。海賊の衰退は、地震によるポート・ロイヤルの崩壊と相まって、もっと安全な島の南部の自然湾がある、キングストン近隣の漁村の台頭につながりました。キングストンは、やがて1872年にジャマイカの首都となりました。
マルーン
1655年スペインからイギリスへの統治移譲による激動の中、それまでスペイン人に所有されていた西アフリカの奴隷の多くは、ジャマイカの内陸丘陵地へ逃亡し、その後ジャマイカで200年の間ほとんど続いた奴隷制度への抵抗の先駆けとなりました。この逃亡した奴隷達は、西アフリカの自分達のルーツに基づく固有の文化を独自に発展させました。マルーンとして知られるこの人々を、イギリス人は再び捕えることも鎮圧することもできず、1739年政治的自治が認められました。この人々の子孫と文化は、現代ジャマイカに今日存在しており、これは彼らの技術と不屈の精神の証です。
カリブ地域のアフリカと奴隷制度への抵抗
スペインが始めたアフリカの奴隷労働力の輸入は、イギリスによってもっと強烈に継続されました。そして砂糖生産がその範囲と価格両面で増加するに従って、輸入奴隷の人数も着実に増えていきました。ジャマイカの奴隷の殆どが、今日のガーナ、ナイジェリア、中央アフリカの国々から来て、アカン、アシャンティ、ヨルバ、イボ、イビビオなどの人々が含まれていました。18世紀までにはジャマイカは、イギリスの最も有益な殖民地の一つとなりました。しかし、奴隷が耐えなければならなかった困難は、凄まじいものでした。家族は日常的に離れ離れにされていました。住居と衛生状態は最悪でした。殴打や暴行は横行していました。たくさんの奴隷が、過労と飢えで命を落としました。ジャマイカでの西アフリカの奴隷の平均寿命は7年でした。
奴隷貿易は1807年に廃止されました。それまでに、およそ2百万人の奴隷がジャマイカに売買され、西アフリカからカリブ地域への残酷な航海の途中、奴隷船の中で何万人もの人が命を失いました。そして約250年に及ぶ抵抗を経て、1838年遂に奴隷解放を成し得ました。200年以上の非人間的な屈辱は、西アフリカの奴隷による激しい抵抗を経て、またイギリス議会の見識ある議員達とイギリスのキリスト教反対勢力の支援も得て、終結しました。ジャマイカにいるキリスト教の宣教師達も大きく貢献しました。彼らは奴隷を人間として接し、「ユダヤ人でもギリシャ人でもない。奴隷でも自由の身でもない、男でも女でもない、イエスキリストの名のもとに皆一つなのだから」というキリスト教のゴスペルに目覚めさせました。奴隷制度の終結は、プランテーション制度の崩壊を招きました。自らの自由のために闘った西アフリカの奴隷達は、もはや以前の主人のために働こうとはしなかったからです。これに、失業や重税や干ばつなど他の要因も併さって、1865年危機が起こり、それにより古い社会的・経済的パターンが決定的に急速に変わりました。1865年10月にモラント・ベイの反乱は、非常に厳しく鎮圧されて、その主導者達は処刑されました。この危機に関するイギリス人総督の処理の仕方により、その総督はロンドンに召還されました。しかしこの総督はジャマイカを去る前に、恐れる下院にその存在の消滅のために投票するよう促しました。代わって、1866年英国議会令により、総督が唯一の行政・立法権を行使する直轄植民地形式の政府となりました。
カリブ地域のアジアと中東
ユダヤ人は、砂糖生産のために16世紀初めジャマイカに最初に入ってきた人種のうちの一つです。契約労働期間が終わってから、彼らは商売やその他の仕事に就きました。その人口は少数ではありますが、ジャマイカでこれらの分野でいまだに大きな影響を持っています。
奴隷制度の廃止以来アフリカ系ジャマイカ人が立ち去ったさとうきびのプランテーションで契約労働者として働くため、1845年最初のインド人がジャマイカに到着しました。最初の労働者は北部インドから来ました。後に他の人たちは、アター・プラデシュ、ビハー、中部地方、パンジャブ、北西フロンティアから来ました。
1854年最初の中国人移民が契約労働者としてやって来ました。ほとんどが香港及び中国南東部の広東省から来ました。
20世紀初頭、自国では政治と宗教上の迫害を感じ、より良い生活を求めて、パレスチナやレバノンからの移民がジャマイカに定住しました。
中東、インド、中国の人々は、出身地の文化的価値観の多くを維持し、自らの伝統と専門性と共にジャマイカ社会に溶け込みながら、農業、商業、その他の仕事で貢献し、ジャマイカを豊かにしていきました。
独立への変遷
1938年までに、世界的経済不況によって生じた苦難により一層激しくなった直轄植民地制度への不満から、本格的な広範囲の暴動が勃発しました。これらの事件の結果、最初の継続的な労働組合が形成されることとなり、それに関連した政党の形成にもつながりました。民族自決の必要性もますます明白になってきました。
ジャマイカの活動家と労働組合指導者達の政治的扇動は、1944年二大政党の下院を設置し、閣僚の任命と普通選挙権を定めた新憲法の許諾をもたらしました。さらなる憲法上の進展は1953年と1957年に行われ、1959年完全な自治政府が手に入れられました。
1958年ジャマイカは西インド諸島同盟の創立メンバーになりました。しかし国民投票の結果1961年に脱退しました。1962年8月6日、300年に渡るイギリスの統治の後、イギリス連邦の中で完全な主権を持つ独立国となりました。
ジャマイカの独自性
アフリカの遺産は、数限りない形でジャマイカに生き続けています。それはジャマイカの人々の人種構成に最も明白に見られます。文法と発音が西アフリカのトウィという言語の影響を強く受けているジャマイカの言葉パトア語にも見られます。ジャマイカの音楽と踊りにも見られます。宗教の礼拝や儀式に、また食べ物や衣服にも見られます。
イギリスの遺産も、ジャマイカに多くの形で生き続けています。例えば、英語が公用語です。ジャマイカの議会の長は、イギリス女王陛下です。ジャマイカ政府の制度はイギリスの議会をモデルとしています。ジャマイカの法律はイギリスのコモンローアンドプラクティスに基づいています。クリケットは国のスポーツです。
ジャマイカの国のモットーである”Out of Many, One People” (たくさんの人種から成る一つの国民)は、異なる人種と信条の人々が何世紀もの間共存し、ユニークなジャマイカの独自性と、共通の国運を造り上げてきたことを反映しています。
ジャマイカの歴史上重要な日
A.D.600 − 800: タイノがジャマイカに定住し、スペインによって絶滅させられるまで900年余り住んでいた。
1494 年: クリストファー・コロンブスがジャマイカに上陸し、スペインの土地だと主張した。
1510年: スペインの植民地となった。
1655年: イギリスによって攻略された。
1670年: マドリード条約によって、正式にイギリスに渡される。
1692年: 地震でポート・ロイヤルが壊滅する。
1739年: 何年もの激しい抗争の後、イギリスとマルーンが平和条約に調印
1807年: 奴隷貿易廃止
1832年: ウエスタン・リベレーション暴動。サム・シャープ(Sam Sharpe)率いる奴隷制度反対の最も大規模な抵抗運動
1838年: 奴隷制度廃止
1845年: 契約労働者として最初のインド人がジャマイカに入る
1854年: 契約労働者として最初の中国人がジャマイカに入る
1865年: モラント・ベイの反乱
1884年: 地方行政のための新憲法
1914年: Marcus Garvey (マーカス・ガーヴェイ)が、世界の他の人々と平等に共存するために黒人の権利について世界的な意識を促そうと、United Negro Improvement Association (UNIA 統一黒人向上協会)を設立した。ガーヴェイは、アフリカの何百万人もの黒人とアフリカの地を離れた黒人の意識とプライドを呼び起こさせた。
1938年: 人民国家党(PNP)が、ノーマン・ワシントン・マンリーによって結党される。
1943年: ジャマイカ労働党(JLP)が、アレキサンダー・バスタマンテによって結党される。
1944年: ジャマイカ労働党が、普通選挙権に基づく第一回総選挙で勝利
1958年: 東カリブ地域の英語圏10カ国とジャマイカを統合して、西インド諸島同盟が結成される。
1959年: 人民国家党が下院選挙で勝利。ノーマン・ワシントン・マンリーが初のリーダーとなる。
1961年: この年の国民投票の決定で、ジャマイカは西インド諸島連盟から脱退する。
1962年8月6日: ジャマイカは独立国家となる。
1962年: ジャマイカ労働党は、下院選挙で勝利して、アレキサンダー・バスタマンテがジャマイカの初代首相となる。
1962年〜1989年: 二大政党のそれぞれが二期連続で交互に政権を握る。
1989年から現在: 人民国家党(PNP)が、3人の首相のもと4期連続で政権を握る。3人の首相とは、マイケル・マンリー、P.J.パターソン、そして2006年3月30日ジャマイカの第七代首相として宣誓就任したポーシャ・シンプソン・ミラーである。
人口
ジャマイカの人口は2001年末には2,607,632 人と概算されており、その約半数が農村部に住んでいます。ジャマイカ人のほとんどがアフリカ系で、相当数の人々の先祖には多人種が混じっています。人口の約一割を占めるのが、東インド人、中国人、ヨーロッパ系の人々です。
公用語は英語ですが、ほとんどのジャマイカ人がジャマイカのパトア語を話せます。パトア語は、英語と西アフリカの多言語が組み合わさったものです。
経済
ジャマイカは、小島嶼(しょうとうしょ)開発途上国(Small Island Developing State)で、プライベート(民間)セクターが成長の主たる原動力である、開放・自由経済の国です。ジャマイカ経済は、カリブ共同体(CARICOM )加盟国の経済と密接に一体化しています。共通の規則や手続きによって統治される単一市場と、相互に合意した貿易 ・経済関係の機構を形成しています。単一市場の主な目的は、カリブ共同体諸国が、小規模で脆弱性ゆえの課題を克服し、国際競争力を向上させ、グローバル経済に統合するよう支援することです。
ジャマイカ政府は、1980年代から抜本的な経済改革を行っています。その目指すのは、マクロ経済の安定及び好ましい投資環境の確保、教育及び社会的保護の推進、そして特に交通・通信分野におけるインフラ(社会基盤)の強化です。その結果、ジャマイカ経済はかつてないほど好況で安定しています。投資 は過去最高水準で、国際準備高は史上最高値、一方金利は低下しています。為替レートは安定し、インフレは制御されていて、人々のビジネスに対する信頼感が見られます。
ジャマイカの主要な財産は美しい自然です。これが繁栄する観光産業の基礎となっており、観光産業が主な外国為替収入源です。その他ジャマイカ経済へ貢献しているのは、国外に住むジャマイカ人からの送金、ボーキサイト採掘、そしてアルミナの生産です。農業、農産業、軽工業も重要な役割を担っており、重要な雇用の場を提供しています。しかしながらこれらは、ジャマイカのGDP(国内総生産)の71%を占めるサービス部門に比べると、経済への貢献度は小さく留まっています。
ジャマイカ経済は、原油価格高騰などの外的ショックの影響を受けやすく、また周期的にハリケーンや洪水に見舞われ、生産力と競争力に影響を受けます。ジャマイカの経済発展はまた、国内外の高い債務が障害になっています。
ジャマイカは世界銀行によって低中所得国に分類されており、国民一人あたりの所得が年平均US$3000です。過去10年間の経済成長は控えめですが、ジャマイカの社会指標は、他のほとんどの開発途上国の指標を上回っています。例えば、出生時平均余命は73.3歳、乳児死亡率は新生児千人あたり19.2人、小学校卒業率94%などです。失業率は11.3%、貧困者比率は15%を下回り、ジャマイカ政府は2015年までに「国際連合ミレニアム開発目標」に達する方向に向かっています。
ジャマイカの経済・社会指標に関する情報は、下記のサイトをご参照ください。
http://www.pioj.gov.jm/statistics/statis_gdpi.stm
http://www.mof.gov.jm/news/2006/default.shtml
http://www.statinja.com/index.html
http://www.boj.org.jm/economicdata.php
http://devdata.worldbank.org/external/CPProfile.asp
カリブ共同体(カリコム)
カリブ共同体(カリコム)は、カリブ地域の英語圏の国々及びハイチ、スリナムを統合した地域組織です。カリブ共同体の主な目的は、経済的に脆弱な加盟15カ国が、開発や発展のための有益な機会を活用し、共通の利益を守り、グローバル経済の課題に対応するため、共に行動する場をもつことです。
カリブ共同体の15の加盟国は、次の通りです。
アンティグア・バーブーダ
バルバドス
ドミニカ国
ガイアナ
ジャマイカ
セントルシア
セントビンセントおよびグレナディーン諸島
トリニダード・トバゴ
バハマ
ベリーズ
グレナダ
ハイチ
モンセラット
セントクリストファー・ネーヴィス
スリナム
準加盟国は、次の通りです。
アンギラ
英領ヴァージン諸島
タークス・カイコス諸島
バーミューダ
ケイマン諸島
カリブ共同体の本部は、ガイアナのジョージタウンにあります。
カリブ共同体は、この地域が団結し統合した共同体としての構想を最良に追及できるよう、1973年にジャマイカ、バルバドス、ガイアナ、トリニダード・トバゴにより設立されました。1947年ジャマイカのモンテゴベイで第一回の会議を開き、この構想を立案した上記の国々は、旧英領カリブ諸国が共に分かち合ってきた歴史の強い絆を認識し、これら諸国共通の文化的アイデンティティ、民主主義の原理への深い取組みを高く評価しました。
1947年モンテゴベイで生まれた地域的統合への期待は、1958年ジャマイカを含む加盟10の島による連邦政府を持つ、西インド諸島連邦の創設へと繋がりました。この西インド諸島連邦は、1962年ジャマイカ及びトリニダード・トバゴの独立と共に終結しました。しかし、統合を推し進める努力は、政治的同盟より経済協力に重点をおき続けられました。それはやがて1965年のカリブ自由貿易連盟(CARIFTA)の設立へ繋がり、そしてCARIFTA 合意が発効された1968年には旧英領カリブ地域事務局がガイアナに設置されることとなりました。カリブ諸国の指導者達はのちに、自由貿易圏を共同市場へと移行することにより統合の動きを深めることを決め、1973年には共同市場がその不可欠な部分であるカリブ共同体を設立しました。
年月を経て地域統合の動きは、その目標を2008年までにカリコム単一市場・経済(CSME)を設立することとするまでに発展しました。カリブ単一市場・経済(CSME)は、人々、物品、サービス、資本が自由に移動できる単一の経済領域を展開し、加盟国による社会、経済、貿易政策の協調を必要とするものです。さらに、共通の利益をより効果的に守るため、加盟国は外交政策の調整と国際舞台で一つの声として交渉するための機構を改善しました。統合され統一されたカリブ地域への加盟国の取組みは、保健医療、教育、文化、スポーツ、環境、観光、災害管理、通信、技術、司法行政、その他の分野における効果的な協力に明白に見られます。
より詳細な情報は、カリブ共同体のウエブサイトをご覧ください。
www.caricom.org
リンク
ジャマイカ・インフォメーション・サービス - http://www.jis.gov.jm/
ジャマイカ統計庁 - http://www.statinja.com/
ジャマイカ中央銀行 - http://www.boj.org.jm/
ジャマイカ政府貿易投資振興局 - http://www.investjamaica.com/
エアージャマイカ - www.airjamaica.com
ジャマイカ政府観光局 - www.visitjamaica.jp
カリブ共同体 - http://www.caricom.org/
ジャマイカ企画庁 - http://pioj.gov.jm/